短編小説
手品師 出張で出かけた日の夜、地方のローカル線に揺られて窓の外をぼんやり眺めていた時の事だ。ターミナルを出発して幾つ目かの大きな駅でその男は乗ってきた。 年齢は70歳をとうにこえているだろう。かなりくたびれた黒のスーツを、それでもきっちり着こ…
我が家ではここ一週間、事ある毎に妻が例の件を話すようせがむ日が続いている。例の件、とは牛丼店での一件である。私にとっては宝物のような話だ。あの日家に戻った後、早速妻を起こして話したところ彼女は唐突に怒り出した。「どうして私を呼んでくれなか…
変わりばえのしない毎日の繰り返しの中、ちょっとした奇跡のような瞬間に出くわす事がある。映画ほどドラマチックではないが、不思議と忘れられない瞬間。他人から見ればなんでもないような事でも、受け取る側によっては何ものにも代え難い時間。 これはそん…
ある夜の事。 駅からの帰り道、坂道の上のほうから何やらゴロゴロと大きな音をたてて転がってくるものがある。 駅から家までは、途中にある公園をぐるりと半周しなければならない。公園をはさんで反対側にあるのだ。私はその公園をぐねぐねと貫く小道を通っ…
とある教会で修行している若い神父。戒律の厳しい教会、有名な司祭の元で彼は幼いころから育てられた。 司祭の言いつけで大きな森を越えた隣の町まで車で出かけた若い神父だったが、用事が長引いてすっかり遅くなってしまい、あたりが暗くなってから教会への…
Your Eyes Only<1> 12月の3度目の金曜日の夜。会社での飲み会が往々にしてそうであるように、その日の飲み会もつまらない、ストレスが更にたまるだけのものだった。 心地よい酔いが得られないまま終電近くの電車に揺られ、車窓の向こう側を過ぎてゆく町の…