毎度!ねずみだ。
まだ小学校低学年だった頃。学校からの下校時間は「遊びの延長」だった。真っすぐに家に帰った事なんてほとんどなかった。
父親の仕事の関係で東京に出てくる以前は、愛知県豊橋市の田舎に住んでいたねずみ少年。まだ元気はつらつだった。
クラスの友達と一緒に小学校の近く、大学の敷地に忍び込んで「探検」する。草むらに段ボールを持ち込んで「秘密基地」をつくって。クラスの他の友達には「内緒だよ、誰にも言わないでね。」と言いつつ毎日新しく誰かを連れて基地で秘密の会議。秘密基地はいつの間にか大所帯に。
大きなトノサマバッタを捕まえたり、蝉の抜け殻を何十個も集める。大学をぐるりと取り囲む小さな流れにはオタマジャクシやらアマガエルやらが。ゲンゴロウやタガメがいたらラッキー。
毎日が文字通り冒険の繰り返しで、退屈なんてしている時間はなくて。そんな冒険は永遠に終わる事はないと思っていた。最終回の来ない連続ドラマ。
高校生になったら友人とお茶の水の楽器街にどっぷり嵌り。イシバシ楽器、クロサワ楽器、下倉楽器。何軒も梯子して。行く度にギターの値札と自分の財布の中身を比べてがっかりして帰ってきたりする。何度見たって財布の中身は増えない。真新しいピカピカの楽器は文字通り「手の届かない」存在だった。それでも見ているだけで気持ちが昂る。
思い起こすと最近「寄り道」をしていない。飲み会が有る日以外は毎日会社を出て伝書鳩のように家路を急ぐ日々。小学校低学年の頃、毎日は最終回の来ないドラマだったはずなのに。
捕虫網を持った幼いねずみ少年が、虫かごにバッタを一杯詰めて「ねえ、なんで寄り道しないの?つまんないよ。」と帰りの電車に揺られる私の袖を引っ張る。私は自分に言い訳をするために「寄り道をしない理由」をいくつも考える。
妻が7時前には家に戻っていて家事を始めているのがその大きな理由なのか。早く帰って家事を手伝った方が家内安全につながる、と勝手に思い込んでいるのでは。スマホに玄関の開錠通知が来ると自然と早足に。(我が家の玄関は、開け閉めされたり施錠開錠されたりするとスマホに通知が来るようにしてある。会社を出るか出ないかの時間に妻が帰宅して玄関の鍵が開錠される。)
定年退職したら時間なんか腐る程できる、むしろ持て余すに違いないと考えてもいる。だが本当にそうなのだろうか。
多分、そうではない、と思う。
単純に疲れている(あるいは疲れているフリをしている)だけなのでは、と自分に問う。年を経て「寄り道」したくなるよな気持ちを失いつつあるのか。覇気が無くなっている、と言い換えてもよい。
親父の入院、葬式。続けてお袋の入退院から始まった施設探し。特別養護老人ホームに入って間もなくお袋が亡くなり、葬式。相続から空き家の売却まで。10年くらいは心が休まらなかった。ほとんどの土日が多忙の内に終わる。
その間に蓄積したであろう「疲れ」が大きく影響しているのは確か。
妻は「たまには寄り道してきたら。」と言ってくれる。彼女自身は会社帰りに新宿駅で乗り換えの際に買い物したりしている。ストレス解消になっているようで大いに結構。
ならば私も久しぶりに「寄り道してやる。」と画策する。何に対して「寄り道してやる。」と意気込んでいるのか分からないが、とにかく寄り道くらいしてやるのだ。
「そうだよ、思い出した?あの頃は毎日寄り道して冒険してたじゃない。」と幼いねずみ少年が私の周りでぴょんぴょん飛び跳ねる。
さて。私の場合、寄り道するとなれば、「中古楽器屋」一択になるのは分かっている。
中古楽器屋だったら、少しは手が届きそうな楽器が並んでいるかもしれない。こっそり貯めているへそくりを財布に仕込んで。買う買わないは別として、何本も並ぶギターを見たら、テンションが上がるだろうな。会社帰りに「寄り道」して楽器を見に行くなんて、30年ぶりかもしれない。
そう考えたら、なんだか楽しくなってきた。
高校生になったねずみ少年が、小学校低学年時代のねずみ少年の手を引いて顔を出す。「楽器屋行くんだって?久しぶりだね。一緒について行っていい?」
じゃ、また。