鼠丼(ねずみどんぶり)

天に声あり、丼の中に住む鼠をして語らしむ

<965> 260708 明日の7月9日は「泣く」日です


 毎度!ねずみだ。

 7月9日は「な(7)く(9)」日です。え、誰も知らないって?まあそうだろう。私も知らない。
 なんて言いながら「よもやとは思うが」ネットで検索すると、すでに「全米感涙協会」というどこかの団体が「7月9日は泣く日です。」と言い切っているらしい。すみませんそんな事とは知りませんでした。

 今年59歳になった私だが、何年かに一度くらいの割合で良いので、普段の生業から解放されて滂沱する日が欲しい。一日泣いていると脱水状態になりかねない。それなら15分でも。
 涙を流すための方法は何でも良い。とにかく周囲から隔絶された場所で、人知れず涙を流したい。

 人生で何度か「血を吐くような泣き方」をした事がある。子供の頃からずっと世話になった叔父さんが亡くなった時。それと両親が亡くなって暫くした後、誰もいない実家の台所で。使う者が無く音のしない台所に立っていたら、いきなり悲しさに心を鷲掴みにされる。
 本当に体中の水分が抜けてしまうかと思う位。暫く涙が流れるに任せた後、自分でもどうする事も出来ないくらいに脱力。操り人形の糸がぷっつりと切れたように、へたり込んでしまった。
 頭がボーっとして口の奥の方がなんだかしびれているような。魂が抜けてしまったような気がした。

 あんな泣き方は身体や精神に良くない気がする。

 悲しさが原動力となるような涙ではなく、もっと静かな涙の方が良い。程よい量の涙を流し頭が少し痺れるような程度。
 涙は拭かないで乾いて粉を吹くまで放っておく。頬がカピカピになるのも構わず。家人が発見して驚くかもしれないので、まあ手元にティッシュくらいは用意しても良いかもしれない。
 涙を流した後の、程よい疲労感の海に漂う感じ。決して不愉快なものではないはず。焦点の定まらない目で、痺れた頭のままどこか遠くを、見るでもなくボーっと眺める。

 そういった涙を流すことは「精神の浄化」につながるだろう。
 
 60歳にならんとするおっさんがこんな事を書くと、「気持ち悪い」と思われても仕方がない。

 でも。
 実は皆さんの中にも少しぐらい「子供のように手放しで泣きたい」と思うタイミングがあるはず。

 ぎりぎりの所で一日を乗り切った後。家のドアを開けソファに崩れるように座る。家の中には自分の他に誰もいない。家族の事やら仕事の事、あるいは日々年老いて弱っていく親の事。ヘビーな事柄が頭の中で、高い粘度を保ったままぐるぐる渦を巻いて重さを増している。
 ふうっと大きなため息をつく。なんとか持ちこたえていた緊張の糸がプチンと切れた瞬間に、とめどない程の涙が出てしまう。体内に溜まっていた「何か」を押し流すような大量の涙が。

「自浄作用」とでも言うのか。

 暫く涙の流れるにまかせる。あとは自分の心臓の音と呼吸だけを聴いて。自分にのしかかる難題が解決した訳ではないが、少しだけ心が軽くなったような気がする。

 そうしてまた、自分以外の誰も解決してくれない難題に正面から立ち向かう。涙を流す前とは少し違う自分がいる。大丈夫。誰かが見ていてくれなくても自分だけは自分を見ているから。

 という訳で今年から皆さんも明日の7月9日は「泣く」日にしましょう。

 涙もろい私は「誕生日のプレゼントに子供が子犬を手に入れる動画」なんかをYouTubeで見つづけたい。東京ガスのCM「家族の絆」シリーズ(渡辺えりの出てくるやつ、とかね。)とか、あるいはタイ生命保険のCMでもOK。
 少ししたら、妻が「風邪ひいた?鼻水すする音が聞こえたけど。」と心配して顔を見に来るだろう。
「だんどぼだいよ。(なんともないよ。)」と涙ながらに答える夫。それを気持ち悪そうに見る妻。

 じゃ、また。