鼠丼(ねずみどんぶり)

天に声あり、丼の中に住む鼠をして語らしむ

<877> 251216 空っぽになった実家は寒々とした空気に満ちていた


 毎度!ねずみだ。

 実家の売却・解体が決まって、家具など家の中の物を業者に引き取ってもらう事に。

 週末の朝8時から作業が始り、家の鍵開けなどがあるので立ち合いをお願いしたい、との事で妻と二人で実家に向かう。
 8時前に実家に着くとすでに作業が始まっており、庭の物置の中にあったものが片っ端から庭に並べられている。

 家の鍵を開けると、屈強な男たちが「家具などを取り出すので、土足で入ります。」と断りをいれたのち、ワラワラと家の中に入り込む。一瞬、「え、土足?」と思うが考えてみれば取り壊す家なので、当然のことなのだろう。いちいち靴を脱いだり履いたりしていては時間がもったいないし、事故やケガの元である。

 総勢10人以上の作業者が家財道具を持ち出し、わずか2時間程度で、実家はもぬけの殻になってしまった。親父やお袋が買い揃え長い間使ってきた思い入れのある家具たちが全て運び出されると、彼らが50年過ごした家はあっという間に床と壁だけに。文字通り「空っぽ」に。
 灯りの無いがらんどうの家は、冬の寒さもあって余計に寒々とした印象を与える。

 都市の新陳代謝のため、古い家が取り壊され、更地になり、新しい家が建つ。街のあちこちで今日も当たり前に行われており、我々も普通に見るこの光景。だが、かつての住人としてはなんとも複雑な心境である。
 幸い(と言っていいかどうか迷うが)新築の家に移り住んで、「さあ、今日からこの家で新しい生活が始まる!」と一つずつ家具を買い揃えた親父やお袋は、すでに鬼籍に入ってしまった。もし生きていて家具が一つ、またひとつ、ゴミとして運び出されるのを目の当りにしたら、相当なショックだったろう事は想像に難くない。もしかしたら草葉の陰から固唾をのんで見ているかも。
 
 それはこの家で30年過ごした私にとっても同じことで、思い出の詰まった家具が次々に解体され、トラックの荷台に無造作に投げ込まれていく光景に胸が痛む。親父とお袋、そして私がまだ子供だった頃の思いが一緒にトラックに投げ込まれているようで。

 こんな風に考える。

 家具たちはそれ単体で存在するのではなく、使う人たちの息遣いとか、所作とか笑い声、あるいか家族の温もりだとか、そんな時間や空気と一緒に存在していたのでは、と。
 かつて日本では、長い間大事に使っていた家具や道具に精霊が宿る、いわゆる「付喪神」という存在が信じられていた。もしかしたら「精霊」というのは、実際に使っていた人達の「思い」が昇華した存在の事なのかもしれない、などと思ってしまう。

 そういった精霊の宿った道具たちは、神でもあり同時に妖怪でもあり。捨てられた後に妖怪の姿を得て人をたぶらかすそうなので、私の夢枕に付喪神が立つ日も近いだろう。

 親父やお袋の遺品の多くは持ち出したとは言え、ずっと使っていた机やベッドが無くなり。さらには壁に残るシミだけが当時の面影を残すのみとなってしまった自分の部屋を見ると言葉が出てこない。

 実際に生活していた当時の、家の中の写真を撮っておけばよかった。しばし後悔するがその時はこんな日が来るとは想像していなかった。

 帰りがけ、親父とお袋の墓前で、家具を処分したことや、そして直ぐに家屋の解体も始まる事を報告する。謝るのもへんな話だが、やはり謝るという選択しか思い浮かばなかった。

 おそらく。
 どこかのタイミングで。新築の家や新調した家具たちの事や、それを購入した時の喜んでいる親父とお袋の顔を思い出し、私は号泣する瞬間が必ず来ると思う。

 じゃ、また。